セミに寄せて

今年はクマゼミ多い。

セミって当たり年とそうでない年があるよね。クマゼミは私の地域でもこのところ増え出したから当たり外れ(?)がわかりやすいけど、たぶんそれはクマゼミに限らなくて、こういうことを繰り返してるうちに素数ゼミが生まれるのかなあと、悠久の時の流れに想いを馳せる。

馳せるついでに、クマゼミで思い出す。私は関東生まれの関東育ち、いまも関東住みなのだけど、十数年前に4年ほど仕事で関西に住んでたことがあって、その、初めての年の夏の衝撃。とにかくうるさい。それ以前、最盛期のアブラゼミやミンミンゼミの大合唱もたいがいうるせえなとは思っていたが、クマゼミはソロであの破壊力である。それまでマジでクマゼミを知らなかったので、はじめは昆虫が出す音であることを信じられなかった。

しかも「シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ」と鳴く。ネットで調べると「シャンシャンシャンと鳴く」みたいに書かれているが、そんな鈴を鳴らすみたいなおしゃれな音ちゃうやろ。世界の怨みを背負ったみたいな「シネシネシネシネ」は、慣れない関西暮らし、しんどい仕事で疲れた身体にめっちゃこたえる。

クマゼミにしてみたら私の心労など知ったことではなくて、じつはクマゼミ側だって苦労しているらしいことも、関西で知った。

当時一人住まいだったので週末にふらっと京都行ったりもするわけだが、真夏の下鴨神社で聞いたクマゼミは、ぜんぜん違う。風流ですらある。

なぜか。

単に、遠いのである。つまり、クマゼミが皆、とても高いところで鳴いている。下鴨神社の、数十メートルはあろうかという巨木が立ち並ぶ森(なお世界遺産)では、人間とセミは高さによってその世界を分け隔てられ、互いに背景としてしか見做されない。ああ、これが自然の姿なのか。私が「うるせえ!」と耳を塞いだのは、人間によって木が切り倒された世界での、クマゼミの怒りの叫びだったのか。

とか思わなくもないのだが、実際にはクマゼミといえばもともと九州以南が生息域で、関西に進出したのも比較的最近らしいので、あんまり迂闊なことも言えないですね。高いところが好きなのは間違いないけど、少なくとも、千年前の下鴨神社クマゼミはいなかったんじゃないかな。

さてそんなクマゼミも鋭意関東進出中ということで、とは言えいまの住まいの周りもそんなに高い木は多くないので、鳴いてるところを通りがかると相当にうるさい。それでもクマゼミ的には「少しでも高いところへ」とは思うらしく、アブラやミンミンに比べると虫取り網の射程に入ることが少ない。しかし今年みたいに数自体が多いと、混雑するのでそれだけ下の方に降りてくる。狙い目ではあるのだけど、最近は暑すぎて子供と虫捕りなんかできてなく、ちょっと残念。

なんだかんだ言ってクマゼミは捕れるとけっこううれしい。デザインは黒金でカッコいいし、あのデカさ、重量感がたまらない。しかし力がたいへん強いので、下手に持とうとして脚を引っ掛けられるとめっちゃ痛いしぜんぜん取れない。あれはもう掴もうとは思わない。