「夜明けのすべて」

上白石萌音松村北斗が主演する映画。原作は瀬尾まいこによる同名の小説。耳に入る評判がいちいち良い。

 

とにかく誠実な作品という印象。

PMSパニック障害という題材を、センセーショナルではなくあくまでキャラクターを主体に描きだす。しかし「個人の事情」「2人の助け合い」「人との絆」に落とし込んでしまうでもない。当事者を正しくフォローする隣人たちの存在なくしては、ふたりの安寧はありえないし、それでいてその関係性もどんどん変わる。変わる中でもこんないい人ばっかりなら苦労せんわ、とは思う。しかしこれは、私のような非当事者のあり方について、その例を、深い関係から浅いところ、そして傍観者までを示しているのだと思う。「非当事者」と言ったが、そんなグラデーション(しかもそれは環境や時間にともなって変化もする)の中のどこかで当事者なのである。

この作品のなかでは、恋愛すらもそのグラデーションの一部としてだけ描かれる。これは率直に素敵な感性だなあと感じた。そして大変にテクニカルな脚本であるとも思う。

 

 この作品のハイライト、藤沢さんと山添くんの2人の「深い関係性」(しかし、上述のグラデーションにあってそれがいちばん深いとも言い切れない)のきっかけとなる、藤沢さんの「お互い頑張ろう」を山添くんが否定するシーン。「PMSはまだまだだね」とは、なんという絶望。PMSが軽んじられる空気の演出であるし、同時に「お互い頑張ろう」みたいな言葉の危うさを観るものの心に刻む。

そうしてそこから物語が動き出すわけだが、藤沢さんのパニック障害についての、そして山添くんのPMSについての、付け焼き刃な知識による対応。これがまた、どちらもなんかズレてるように見えて、観てる方はいたたまれなくなる。それでもなんとなく、それなりに功を奏してしまう。

そうはならんやろ?

いや、なるかもしれない。ならばそちらを描く。少なくとも、何もせず、何も知ろうとしないよりずっといいので。大事なのはお互いに一定の思いやりを、一定の距離感のもと持っていることだと思うし、それがそのように描かれていることこそ、この作品の誠実さである。

 

さいごに、「夜明けについてのメモ」のこと。これにはちょっと真面目に感動しちゃった。物語とほぼ関係なく泣いた。このテキスト欲しい、載ってるに違いないと思ってパンフレット買った(載ってた)。

ところで、驚いたことに栗田科学のプラネタリウム事業も含めて、星空エピソードはすべて映画オリジナルとのこと。タイトルの「夜明け」から連想したのか。そう思って改めて思い返すと、ストーリーに対して「夜明け」が天文的な意味を持ちすぎているという面は、確かにあるかもしれない。

でもやっぱり私は好きな設定だった。なにしろ高校では地学部だったからね。

 

努力と義務のあいだ

令和5年4月1日より自転車利用時の乗車用ヘルメット着用が努力義務化され、はや一年。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

かく言う私は昨年末頃にようやくヘルメットを購入して、自転車利用時にかぶってる。

これ↓の2位のやつ。適当に選んで楽天お買い物マラソン中に買った。

www.itmedia.co.jp

 

ヘルメット着用が努力義務化、ということが知れ渡ってから、私も「そうだよね、付けた方がいいよね」とはずっと思っていたのだけど、探したり選んだりするのが面倒でずるずると年末になってしまった。

でもまあ、実際買ってみると、規格に適合してればなんでもいいか、という感じなので好きな色とかで選んだらいいと思う。そしてかぶってみると安心感がすごい。

 

もう10年近く前だけど、わりと近しい人が自転車に乗っている時の事故で死んだ。それはロードバイクで高速で転倒したとか、無謀運転の自動車が突っ込んできた、とかでは全くなく、「見通しの悪い交差点を走っていたら低速で進入してきた自動車と衝突して、自動車の上に乗り上げて墜落した際に頭を強打した」というもので、ヘルメットかぶっていたら命は助かった可能性が高いタイプの事故だった。

安全運転を心がけたところで、そういうこともある。そして、ヘルメットくらいで何になるのか、とも言い切れない、という実感がある。なんなら停止中にバランス崩してひとりで転倒した先にたまたま突起物があった、というだけでも死ぬだろう。

そのくせ昨年末まで引き延ばしていたので偉そうなことは言えないが、今日からでもかぶっといた方がいいですよ。周りをみるとまだまだ少ないけど、さすがに奇異の目で見られるということは無い。ロードバイクの人はかぶってるしね。

 

それと、自転車ヘルメットに補助金が出る自治体もあるので、購入の際はいちど調べてみると良いです。私のとこは無かったです。

 

「ソフィオ・アルモニコ×カルテット・プロヴィゾワール めぐりゆく恋のうた」

3月24日の日曜日はこちらのコンサートへ。

tiget.net

カルテット・プロヴィゾワール(QP)はルネサンスシャンソンカルテット。以前にもクリスマスコンサートを聴いて感想を書き散らかした、私の推し。

uncountable.hatenadiary.com

と、今回共演するのが、ソフィオ・アルモニコ。ルネサンスフルートコンソート、つまりルネサンス時代を専門とするフルートのアンサンブル集団。

soffioarmonico.wixsite.com

というわけでこちらのコンサート、古楽好き、QP推し、そしてフルート練習中という私にJust for meなイベントである。行かない理由が無い。

ソフィオ・アルモニコの「ルネサンス時代を専門とする」とは、ルネサンス時代の音楽を演奏するということではあるのだけど、楽器も「ルネサンスフルート」を使っている。古楽というだけでもまあマイナージャンルだとは思うが、その中でもルネサンスフルートによるアンサンブル、というのは大概である。公式のサイトにも書いてあるように「レパートリーの発掘」「奏法の研究」などから始まるとか、そういうレベルのことをしている人たち。

ルネサンスフルートっていうのは、現代のピカピカメカメカしたフルートのご先祖様にあたるわけだが、ルネサンスまで遡るともはや「木の筒に穴を開けたもの」になる。

こちら、ソフィオメンバー野崎真弥さんのXより。

かっけえぇ〜。ほしい〜。なんというか、私の「笛が吹けるようになりたい」気持ちの幾分かは、こういう笛を指している気がするんだよ。これが上手に吹けるようになるとき、根源的な自由への翼を手にするんじゃないかみたいな思いがある。

今回のコンサートでは、そういうシンプルな楽器に対してどこか「朴訥さ」みたいなものを想像、あるいは期待していた。ところが、実際に聴いたその音色は、驚くほど豊かな倍音で声のアンサンブルを確かに彩っていた。「古き良き何か」ではなく、まさにいま、キラキラと教会の礼拝堂を満たしている。

というかこれは、ルネサンスフルートがどうとかいう以前に、ソフィオの演奏がおそろしくレベルが高く美しい。そしてアンサンブルがすごい。プログラムの中にはフルートのみのアンサンブルもあったのだが、柔らかな響きでありながらクリアなハーモニーに打ち震えた。

でもって、その直後に声のアンサンブルを聴いた衝撃よ。

人間の声!めっちゃ訴えかけてくるやん!

じつはプログラムの中に「フルートと声でそれぞれ同じフレーズを歌い交わす」的なアレンジの曲があったのだが、美しいフルートのアンサンブルに聴き入った後に聴く声のアンサンブルは、同じ音でも、身体の、頭の、心の全然違うところで受け止めていた。泣いた。そうか、人間の耳は、人間の声に強くフォーカスするようにできてるんだ。そりゃそうだって感じだが、人間の声の音楽を聴くことが多い人生を歩んできたので、これまであまり意識してこなかった。たまに「音楽は好きだが歌はそんなでもない」という人がいて、正直全く理解できずにいたのだけど、今回の体験からすると「人間の声は音楽におけるノイズである」という感覚もあり得るのだなあと思い至った。

いや、まあ、こんなにも感激したのはソフィオとQPのアンサンブル能力が高すぎるからではあるので、一般論にはならない気もする。特にQPはそういう「人間的であること」に関して白眉であるし。そうそう、ここまでQPのことを全然書いてませんが、相変わらずの最高なカルテット。これからも推す。

声とフルートとの対比もありつつ、混合のアンサンブルではその色彩が美しく調和する、素晴らしい空間だった。それでいて雰囲気はあくまでもフレンドリー、かつ丁寧な楽曲の解説などもあり学びの多いコンサート。いやー、ほんとうに楽しかった。

 

このカヌレ、かのカヌレ

このカヌレは、美味しいカヌレなのでは!?

というカヌレを見つけた。カヌレというものがなんだかわからずに暮らしてきたという話をしたが、ここにきてはじめて、「これは」というカヌレに出会った。

カヌレマニア」というカヌレ専門店、というか「本当に美味しいカヌレを全国から厳選して集めた〜」(公式Instagramプロフィールより)という、いわばカヌレセレクトショップ。渋谷に常設店があるようだけど、基本的には催事での出店を中心に展開してるみたい。

でもって、まさに通勤途中の駅のイベントスペースに出店したのを見て、カヌレ馬鹿としては見過ごせなかったというワケ。

しかしながら、カヌレマニアさんのラインナップ、かなりバラエティが豊富。ショコラ、キャラメルなんかは当然として、抹茶、ミルクティー、メープル、大吟醸などなど…なるほどカヌレってそういう流行り方してるのね。しかしこちとら、いつまで経ってもカヌレのことを理解できない浮かばれぬカヌレ馬鹿である。プレーンのカヌレのこともわからないのに、そんな変化球に対応なんてできない。

ということで、数あるカヌレの中で唯一「カヌレ プレーン」と名のついたカヌレを購入。セレクトショップなので作っているお店が他にあるわけだが、このカヌレは東京都江戸川区にあるパティスリー ラ・フィーユという洋菓子店の商品とのこと。

patisserielafille.com

そして、「このカヌレは、美味しいカヌレなのでは?」である。

外側はカリッと焼かれていて、中はあくまでしっとり。中心部はもっちょりとしているが、それがむしろ砂糖の甘み、洋酒の香りとよく調和している。甘みは決して控えめではないが、卵感が軽めなのか、嫌らしさがなく、「半分でいいや…」みたいなことがない。総じてバランス感覚に優れ、ビジョンが明確なため、口にすれば迷いなく「美味しい」と思える。私はカヌレのことを何も知らないが、それでも「カヌレにこうあって欲しい」という想いをパティシエと共有するかのような体験であった。いつか江戸川区のお店も行ってみたい。

なお、フランスでカヌレを食べたことはないので、「本場のカヌレ」がどんなものかはまったく知らない。というところに、次に寄ったカヌレマニアのお店に「カヌレの発祥地フランスボルドーより直輸入」というカヌレが置いてあったので購入。

早速食べてみると…こ、これは…これ…!これだよ!私の「カヌレがわからない」の発祥の地だよ!どこを目指しているのかよくわからない味と食感。強すぎる洋酒の香り。半分でいいや…となるしつこい甘さ。もはや「これぞカヌレ」とでも言いたくなるような、わからないカヌレ

しかしもう、あの美味しいカヌレを見つけたので迷わない。あのカヌレ買ってこよ。

 

「たまたま生まれてフィメール」

私はフェミニストなんだが、その私がフェミニストを自覚するきっかけとなった人のひとりが、小川たまかさん。フリーライターという肩書のようだけれど、性暴力や性差別に関してもっとも信頼できるジャーナリストである。

『たまたま生まれてフィメール』は、その小川たまか最新刊。

www.heibonsha.co.jp

最新と言っても昨年2023年の5月に出た本。読んだのも出てからすぐなので、やや今更感はあるのだけど、思うところあってこのたび読み直したもので、改めて感想です。

 

はじめに言ってしまうと、小川たまかさんの本、正直なところ私は文章が好きで読んでます。

とにかく文章が読ませる。絶妙な距離感、軽やかなリズム。シンプルな色彩ながら多様な質感で立体的に描かれる世界。語り口は軽いから侮ってしまいそうになるが、書くこと、言葉を選ぶことに生命を注ぎ込んでる人の文章だと思う。

文章が好きすぎるので、ほぼ毎にち日記がとどくメルマガにも登録してる。

ogatama.theletter.jp

 

とはいえやっぱりフェミ本としてとっても勉強になる。性犯罪や性差別の話なんか、どう転んでも司法や政治が絡み、また時系列がややこしいけど重要、みたいな案件ばかりで、そもそもただでさえ聞くのがしんどい話になるのだが、それでもページをめくらせる推進力が、文章にある。それでいてきちんと頭に入ってくるわかりやすさ。まあーこれが書けるのは著者を置いて他にいない。いまの日本に小川たまかさんがいて良かった。

ただし『たまたま生まれてフィメール』はエッセイのスタイルなので、読んでる方はそんなに固くならずとも良い。ニュースになったような事例の解説と並ぶ、著者の内面やかなり個人的なエピソード、そこではむしろ自身の「フェミニストとしての不完全さ」が綴られたりもする。語られる生い立ちなどにも親近感を覚えることが多く、とってもとっつきやすい。

まえがきに、

「これはそういう、自分の主義主張を貫きたいけれど目先のごはんの心配もしている人間が書いた本です。」

とあって、フェミニストである以前に1人の弱き人間であることを隠さない。

ただ、そこでずっと独りごちてるだけじゃないのが小川たまかさん。視座が次々に移り変わる、そのフットワークが見事。隣を歩いて愚痴をこぼしていたと思ったらいつの間にずっと前方でこちらを呼んでおり、しかし次の瞬間には背後から刃物を突きつけられている。しかもそれがあまりに自然で、読んでる私は気づけないから、なんかいつの間にかズタボロになってるんだよね…。

え?こわい?いやまあ、たしかにある種のサイコホラー体験かも知れない…。みんなサイコホラーとか好きでしょ…。

じつのところ、いやこれを言ってしまうと「本書のおすすめ」にならないかもしれないのだけど、『たまたま生まれてフィメール』は読むのにけっこう覚悟がいる本ではあると思う。私はなんの覚悟もなく読んでズタボロになって、ああこれはまたどこかで読み直さなくてはならぬ、と思って一旦寝かせ、このたび読み直した次第。もちろん感じ方は人による。個人の感想です。私の日頃の行いの悪さ、未熟さがそう思わせているに違いない。私はこの本、自分で立ってひとりで目的地まで歩けるようになるまで、読み返さなくてはならぬという気がしてる。

 

サイコホラー(?)は苦手だけど知識としては学びたい〜という方向けにオススメなのは、

『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房、2022年)

www.akishobo.com

こちらはジャーナリスト小川たまかの真骨頂みたいな本。圧倒的な知見と叙述力で当時の日本の性差別、性犯罪問題の現在位置を描き出しており、もはや教科書として家に置いておきたい一冊。

もっと入門的で読みやすいものなら、初の著作である

『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(タバブックス、2018年)

tababooks.com

こちらもエッセイベースではあるけど、雰囲気としては『たまたま〜』と『告発と〜』の間くらい?ただし、この5年にだいぶいろいろなことがあったので、情報としては少し「古い」印象があるかもしれない。けれど、それだけに諸問題の根源への見通しが良いし、またエッセンスの詰まった傑作。私もいまだに読み返してる。(サイン本持ってるもんね!)

 

小川さんの本の中にはいつも時空間が広がっていて、いろんな視点から見てる景色を共有してくれる。だから、いつ誰が読んでも、あるいは読むたびに、自分がいまどこにいて何を見ているのかがわかる。上に紹介した3冊とも、そんな「フェミニズムを知る地図」となりうる本なので、全員買って1億部売れればいいと思ってる。

さくらさくら

やよいのカルディは見渡す限りさくら商品で溢れてる。

桜道明寺粉と桜葉塩漬けも売ってるので、桜餅も作れるよ。ただ、私はあんまり「桜フレーバー」が好きではない。そして、よせばいいのに毎年コンビニで季節限定に踊らされて桜フレーバーのカップ飲料を飲んでは「あーそうだった桜フレーバー好きじゃないんだった」と思い出している。もしかして今年のやつはイケるかも、と思うんだけどねえ。桜フレーバーって結局なんだかよくわかんなくないですか?桜餅は好きだけど、あれは桜フレーバーとはなんか違くないですか?

ということでカルディの桜商品も道明寺粉と桜葉塩漬け以外は基本買わない。のだが、今年初めて確認した「さくらきなこねじり」これはちょっとスルーできなかった。きなこねじりが好きすぎるのと、何よりパッケージの写真に期待が膨らむ。つまり「ピンクじゃない」のである。

「桜フレーバーのよくわからなさ」って、春っぽさを出したいがためにピンクにしておけばええやろ、味はさくらだから、さくらんぼ?チェリー?的に適当にまとめとけば?みたいな、コンセプトの曖昧さだと思うんですよ。もっと真面目に企画開発されている商品もあろうかとは思いますが、正直それが店頭で伝わってくることは少ない。が、この「さくらきなこねじり」は、全然ピンクじゃない商品写真を前面に押し出していて、とても好感。これはたぶん、いや間違いなく「よくわからないピンクっぽい味」ではない。私の好きなやつだと思う。

はい!正解!美味しい!

桜フレーバー(謎)じゃなく、桜餅風味というか、桜葉の風味。しょっぱ味もある。ていうか原材料表示見ると桜成分は「粉末桜葉」しかないもんね。着色料すらない。だから普通のきなこねじりがやや茶緑がかった色。これだよ。これでいいんだよ。もはやこれで桜餅欲も満たせるんじゃないかとさえ思う。

はい!リピート確定!

ということで次にカルディ行ったときに探したら、

ない!まじか!

店員さんにお尋ねしたら、終わってしまいました〜とのこと。他の店舗にはあるかなあ。オンラインショップには在庫あるようですが…

www.kaldi.co.jp

 

こえもうたう

いまからするのは、合唱団特急うたごえ81号さんと、合唱団ガイスマさんの練習体験会にお邪魔した、という話。

こちらには書いているように、いや書いてないかもしれないが、私は合唱をやってた。で、いまはやってない。うたを歌わずに、ふえの練習ばかりしている。

たまーにスポットで歌ったりしてるのだけど、「合唱団に所属する」ということを15年以上していない。合唱が嫌になってやめたわけでは全くなく、むしろ合唱のことはずっと好きであり続けてるんだけども、まあ聴き専でやってます。

じつは近日中にまた歌う機会があるもので、うたの練習をぼちぼち始めてる。ところが、まじでびっくりするほど声が出ない。こんなに声が出なかったこと、生きてきて初めてである。

前回きちんとステージに乗ったのは2021年。でも2年程度のブランクなんてどうってことない、そう思ってた。しかし振り返ってみると、この2年の間には体調を崩したりもして、なんというか「声を出す」機会自体が激減していた。さらには加齢による加速も感じざるを得ない。2年前もそれなりに「声が出ない」とは思ったが、今回は全然レベルが違う声の出なさである。響くとか響かないとか、高音が出るとか出ないとか、息が続くとか続かないとか、そんな話以前に、声が出ない。声帯が閉まらない。

声帯、使わないとこんなことになるのか…。合唱してる人、長く歌い続けたいなら歌い続けた方が、いやなんでも良いから声を出し続けた方がいいですよ…。

何はともあれ声を出さなければ。というところに、Twitter(Xのことです)見てたらたまたま目に入った合唱団の練習体験会のお誘い。これはと思って勢いで申し込んだ。しかも2件。もちろん練習体験会というのは多少なりとも入団を期待されてはいるので、ちょっと今は入団までは無理ですすみません〜と思いながら。

まあこういう開いた体験会は、その団体の知名度を広める意味合いもあったりすると思うので、せめてものお礼ということで、ここで大いに語らせていただきます。(という意図を込めた冒頭の宣言)

 

ひとつめは「合唱団特急うたごえ81号」というバーバーショップ専門団体。

www.youtube.com

バーバーショップ、というのはジャンル、というか形態を指す言葉で、基本的には男声による4声部の合唱。合唱する人(してた人)の端くれとしてバーバーショップがどういうものかは知ってる。が、そういえば歌ったことはない。男声合唱のレパートリーとしてバーバーショップの楽曲が扱われることはあるが、私は混声合唱しかやってこなかったので、全く交わることがなかった。

じゃあこの機会に体験すればいいじゃん!なにしろバーバーショップが「かっこいい音楽」であることは知ってるし、演奏動画なんかを見るにつけ「とりあえず楽しく声が出したい」という要件にも適っていそう。(みんな楽しそうに声を出してる。)タイミングも合って、申し込まない理由がない。

バーバーショップ自体、少人数で演奏することを基本としていることもあり、うたごえ81号さんのメンバーも少数精鋭。とはよく言ったもので、まずマジで全員歌が上手い。声が良い。途中、メンバーによるお手本演奏を聴かせていただいたのだけど、ほんと素敵。贅沢すぎる。練習体験会来てこんなに幸せな気分で帰ることになるとは。

そして自分はといえば、ぜんぜん声が出なくてがっかりして帰ることになるとは。でもまあ、今日のところはこんなもんでしょ、と思える程度には大人になったけどね!楽しかったのでヨシ。

練習の隙間の時間でご教授いただいた「バーバーショップってこんな音楽」、その中でもとても印象的だったのが「バーバーショップには楽譜があるけど、楽譜通りに歌うことは重要視されない。」という主旨のお話。言葉のニュアンスや、お互いの呼吸が、楽譜よりも優先されるべき。他の誰かの真似ではない、ここにいる仲間と作り上げる唯一無二の音楽。それがバーバーショップ。

まじか。さっき「バーバーショップがどういうものかは知ってる」とか言ってたが、なんも知らなかった。お手本演奏が胸に響く訳だよ。バーバーショップ観がまるっきり変わった体験であった。

 

ふたつめが「合唱団ガイスマ」こちらはラトビア専門合唱団。

koris-gaisma.com

…さっきのバーバーショップといい、「普通の合唱団」には行かんのか?うーん、たしかに、「普通の合唱団」(それがなんなのかよくわからないが)の体験会は行こうと思わないかも…。いやしかし、これには流石の私も「ラトビア専門??そんなんあるの??」とは思った。

しかし、ラトビア。名前とだいたいの場所(バルト三国なのでバルト海のとこ)以外ぜんぜん知らない。ラトビア語もまっっったくわからない。というほぼゼロスタートであり、つまりこれは歌云々以前にめちゃくちゃ勉強になるし面白いのでは?ということで申し込み。

こちらはまさに老若男女という感じのメンバー構成。いやーこういう雰囲気なんかすごい久しぶりでちょっと楽しい。私が生まれる前から(これは本当に)合唱やっているようなお兄様にラトビアについて教えていただ来ました。

ちなみに指揮者の佐藤拓さんは、私の推し合唱団である「vocalconsort initium」や「Salicus Kammerchor」のメンバーでもある方。少しですがお話できて大変ハッピーでした。ウォームアップのメニューもとても参考になりました。

ラトビア語は全く未知であった。もちろんヨーロッパの諸言語と似てる部分はあるのだけど、「"o"をuoと読む」とか「"e"は閉じる場合と開く場合があるが、いつ開くかは綴りからは判断できない、なんならラトビア人の中でも意見が割れる場合がある」とか、へえ〜の連発である。まあその辺を押さえれば読み方自体は難しくない、のだが、流石に歌に乗せると全然読めませんでした。おもしれえ〜。

練習した曲は、合唱曲としては初級と言っていいものだと思うし、とても耳馴染みの良いものなのだけど、ラトビアミリしらの私の耳にはどこかエキゾチックに感じなくもない、かな?これがラトビアの音楽、という何か特徴づけるものはあるのだろうか。

ところで、ラトビアの「歌の祭典」の話もすごかった。5年に一度開催されるお祭りで、16000人で5時間歌うらしい。観客が16000人集まるのではない。16000人が歌うのである。100人の団体が160組入れ替わり立ち替わり歌うフェスでもない。16000人が、同時に、ひとつのステージで、5時間歌い続けるんである。意味わかんない。狂気。

しかしラトビア人にとって歌は、そのアイデンティティと深く結びついているとも伺い、この「初級」の歌の奥にある歴史と文化の厚みに、不覚にも心を打たれたよね。

(とはいえ祭りが長すぎる、帰るのが大変、というクレームもあるらしい。そりゃそうだ。)

なおガイスマさん、歌の祭典に参加する国外団体の中でも唯一の外国人による合唱団(ほかは国外のラトビア人合唱団)という、超例外的合唱団らしい。日本ではラトビア大使館に呼ばれていって演奏したりもするそうで、ラトビア界隈ではかなりすごい合唱団である。

以上、結局ほんとに「勉強してきた」という印象が強い体験会。私ばっかりいただいてしまって申し訳ない。

 

どちらの合唱団も、3月にまた練習体験会をやるそうですので、少しでも興味を持たれた方は、ぜひご参加ください!この機会をお見逃しなく!(何様)