「駒田蒸留所へようこそ」

もちろん、早見沙織が主演という理由で観に行ったのだけど、それを抜きにしても良い映画でした。特に、早見沙織だけでなく役者さんのお芝居が全体を通じてとても素敵で、おかげでちゃんと物語に没入できた。

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キャラクターたちの仕事への姿勢が、 都合の良い嘘もいたずらな誇張もなく、 しかしとても丁寧に描かれていて、 いち社会人として苦しみも喜びも共感するところが多かった。けっこう泣いちゃった。

なお、ここまで2回観たのだけど、2回目は勢いで舞台挨拶に行っちゃった。早見沙織小野賢章を生で拝見。この2人だけだと落ち着いた雰囲気でこれも良かったですね。

 

ということで作品の感想。

主役の駒田琉生役をはやみんが演るからって初日に観に行くことは確定しつつ、作品のプロモーションで「家族の絆」がテーマであることを前面に推し出していて、私としてはこの点にやや警戒心を持っていた。つまり「家族の絆最高!みんな家族の絆を大事にしよう!」みたいな作品だと率直に嫌だな、と思いながら初見に臨んだのだけど、印象としてはそれほどグイグイ押し付けられるようなものではなかった。

むしろ、やる気のない編集者の高橋光太郎によって「苦労せず家の跡を継ぐ、つまり自動的に受け継がれる(=受け継がされる)ものとしての家族の絆」という観点が否定的なニュアンスで提示され、そのうえで「琉生の想いは違う」と、琉生の親友である朋子が言う。琉生は、バラバラになってしまった「家族の絆」を、その象徴であるウイスキー「独楽」の復活によって取り戻すため、自らの夢を犠牲にしてまで奔走しているのだ、と。

光太郎は実情を知らない人間として正しく勘違いをし、それを当事者に近い朋子が否定する。この、サービスエリアでの2人の会話のシーンを経て、この作品で扱う「家族の絆」は、光太郎の言うようなマクロな視点の一般論ではなく、あくまでも琉生の、駒田家のミクロな物語であると方向づけられる。観客にしてみたら、他人の家の話であり、別にそれを押し付ける意図はないよということで、ひと安心である。結論から言えばご家族仲良しでなによりです。

実際のところ、作中のセリフに「独楽は家族のウイスキー」という言い方はあっても「家族の絆」という言葉は直接的には出てこなかったのでは?琉生にとって重要なのは、言葉としての「絆」ではなく、「みんなが家族だった頃の蒸留所を取り戻す」ことであって、なんならその「家族」には「血縁者」という以上のぼんやりとした意味合いをも含んでいる。琉生の記憶の1ページに残る「あの頃」であり、あくまでも個人的なものに過ぎない。「家族の絆」がテーマ、なんて言っているが、これは作品のテーマというよりは、琉生個人の仕事上もしくは生きる上でのテーマと思った方が妥当と思う。

 

ところで本作はP.A.Works「お仕事シリーズ」の最新作、との触れ込み。振り返ってみるとほんとに全員が仕事をしてるだけ、という作品ではある。そういう「お仕事シリーズ」でありながら、一方で「家族の絆」をテーマに据える。つまり、身も蓋もない言い方をすれば、公私混同している。でもって、この公私混同こそが、未来に向けて人生をドライブするのに必要な機構だよね、と、この作品は言っている気がする。

登場人物は皆、公の仕事としての立場や役割による線引きをわきまえている。朋子は仕事中に名前で呼ばれることを拒否し、琉生は仕事のできない編集者に対してイラつきはしても笑顔で応対し表立って必要以上の要求をしない。光太郎だって、ぜんぜん気が乗らない仕事だが、仕事なので一応やってるんである。

が、光太郎の余計なひと言を皮切りに、つまり公的であるべき立場から琉生のもっとも私的な部分に切り込んでしまったことで、公私の境が揺らいでいく。そうしてドラマがはじまる。キャラクターたちの人生が動きだす。まあ、光太郎はいくらなんでもチョロすぎると思うけど。

仕事に私事を持ち込んではならない、というのは「社会人のルール」だけど、その暗黙の縛りの中で「私」の想いを蔑ろにしがちなのが社会人でもある。毎日のルーティンをこなすのも大事な仕事ではあるけど、仕事で何かを成し遂げようとするとき、そこへ向かって進むための動力原となる火種は、結局「私」の中にしか無い。それは、それなりに実感を伴って理解できる。私自身は言われた仕事をこなしていたい会社員だけど、映画館出る時ちょっと背筋を伸ばしちゃったよね。背筋の伸びた社畜だけどね。

そんな「公私混同」の最たるものが、先代社長のお父さんの「お母さんの笑顔で出来を判断する」ってやつ。感動的なエピソードでわたしももれなく泣いたんだけど、あれは結局「やることをやり尽くしたけど、本当にこれで良いのかわからない」というときの「まあ、お母さんが美味しそうに飲んでるならいっか」という自分への言い訳だよね。わかる。これすごい好き。

 

そんなこんなで、独楽復活もひとまず叶い、家族も仲直りできて、最後はなんだかんだ上手いことまとまるハッピー&俺たたエンドではある。ただ、誠実だなと思うのは、そこに至るだいたいのことは上手くいかない、その中で少しだけ、上手くいくことがある、という描き方。

せっかくやる気になった光太郎が探しだした独楽の原酒はすべて燃えてしまうし、記事が話題になって全国から集まった原酒も結局使えない。琉生は事情を知らない人間に対して感情的になってしまうし、光太郎は調子に乗ってつまらないミスをして周りに迷惑をかけまくる。

特に印象的だったのが、琉生が絵の道に絶望を感じる瞬間、それを思い出すシーン。あまりに複雑な思いがあって、しかしそれをひとつも言葉にせずに、そのまま琉生のキャラクターとして取り込んでしまう。どこか冷めたような目で押入れの荷物を見つめる、その表情だけが描かれる。

いろんなことが無駄になったり、良い方向に転がったと思った途端に障害にぶつかったりする。みんないろんな失敗や事故があるのだけど、全てのエピソードが、とても細い糸ではあるけどどこかで良い形に繋がっている。それがきちんと漏れなく描かれている。本意はむしろそこなのかもしれない。過去の自分に起こったこと、今の自分が見ているもの、ぜんぶ未来の自分に繋がってる。

 

とまあとっても良い作品だったのだけど、ひとつ、違和感を持った点。作品の瑕疵というよりは、どちらかというと日本アニメ全体の話ではある。

駒田琉生が社長兼気鋭のブレンダーとして幻のウイスキー復活のために奔走する中で、「女性であることを理由に苦労をする」「色物として見られる」というシーンが一切無い。セクハラはもちろん、「女だから」「どうせ女」という蔑み、あるいは「美人ブレンダー」などという下品なラベリングが、ありそうで、ない。少しくらいはあるだろうなーと思っていたけど、無かった。

ウイスキー業界のことをひとつも知らないので、いまどき女性が仕切る蒸留所は珍しくもないのかもしれない。が、私はどちらかというと「丁寧に取り除いた」という印象を受けた。琉生のことだけではなく、ジェンダーを匂わせるものは、リアリティを損なわない範囲できれいに漂白されていると感じる。正直これは、P.A.Works「お仕事シリーズ」に共通の特徴でもあるし、同社に限らず日本アニメが共通して持っている雰囲気である。

そんな「漂白された世界」はファンタジーであると断ずることもできる。しかし、それを描くことで作品に絶望が満ちてしまうのもまた、本意では無いだろう。この作品は希望のある未来を描いているのだし、私だって「絶望」が見たいわけではない。しかし、描かないことが繰り返されれば「無いもの」とされてしまう。あるいは、それはそういう作品として、それこそ「バービー」が担うべきテーマであり、ここでは触れないという立場もある。伝えるべきテーマがボヤけてしまうのは、一つの作品としては絶対に避けるべきである。それもわかる。

正直、いまの私に結論じみたことは言えず、それ自体を適切に評価できるわけではない。実際、作品はとても良かったという感想なのだし。

懸命な判断であると同時に、日本アニメの限界とも思う。それは制作側の意識の問題というよりは、それを描くことの意味が日本においては「強すぎる」のだろう。つまり制作側ではなく、消費側の意識の問題。みんなが共有する問題意識であれば、1カットでも触れることだってできるはずである。

と、言いつつも、結局のところは制作側にそこまでの問題意識がないとは言えるので、致し方ないにせよ、「違和感はあるよ」ということだけは提示しておきたい。とても良い作品だったからこそ。